お塔婆とその材について  

 

 ご法事やお施餓鬼・お彼岸などの折に皆様は「 お塔婆」をお建てになります。独特の形をして、見慣れない文字が書いてあるなとお思いの方も多いことでしょう。お塔婆を よく見ると五つの形からできています。そして上部から仏様の文字である梵字で五文字しるされています。これを正式には「 五輪塔婆(ごりんとうば)」といいます。この五つの 形が大切で、これらは深遠なる仏様のはたらきを象徴しています。ですから 皆さんから申し込まれたお塔婆は、必ず法要の最初に「開眼」(お性根を入れること)をして仏様のはたらきを持たせるわけです。ちなみに各地にある多宝塔、大塔、五重塔や和型のお墓石は五輪塔婆と同じ意味があります。  

 

 実際のお塔婆は木材を板状に加工し、お墓に建てやすい大きさにしてあります。観音寺では 四尺のものです。木材ですから山から切り出します。現在、東京都は奥多摩・日の出町の山林が 観音寺のお塔婆の産地です。以前はこの山の「もみの木」を用いていました。ご承知の通り、今は建築材料をはじめ多くの材木は国外産です。価格が安いなどの理由が 一番ですが、それ故に各地で乱開発による森林破壊が進み、また国内では採算が合わない林業は 敬遠されて手入れされない荒れ山が増えつつあります。山の衰退は遠からず私たちの生活に 大きな影響を与えましょう。因果はめぐるのです。

 

 かの日の出町でも同様のことが 心配されています。また国内で使われているお塔婆の多く(全体の8割)が中国などの外材である ことも気になっていました。なんとか善い方策はないかと思案を重ねておりました。 そこで日の出町の林業の方とのお話し合いを通じて「もみの木」の後に植えられた 「杉の木」の間伐材を利用することに致しました。日の出町の「もみの木」は 既に尽きる状況で、されど「杉林」は荒れたところが多いとのことでした。建築材には細く、他に転用しにくい間伐材を生かしきる得策です。ただし今までと比べると木目は白くなく、赤味を 帯びていることが特徴です。
 

 数年前から先ずはご法事のお塔婆を杉材に変更しました。住職が法要後に変更した旨の説明を致し、ご理解を求めました。どなたもご賛同下さりましたので、昨年のお施餓鬼からはすべて杉材に統一しました。
 

 まだまだ他では杉材のお塔婆は珍しいですが、皆さんからの1本のお塔婆が仏様のはたらきを輝かせ、日本の山の手入れの費用にも使われます。山が本来の力を回復すれば、それは私たちの生活に反映するでしょう。これも大きな意味で「ご回向」と言えましょう。どうぞ以上のことをお含みの上、さらなるご供養を続けられますようお伝えし、これを今号の巻頭といたします。

  追記 この文章は平成17年6月15日発行「 自在力」の巻頭言である。当時はこうした杉材の塔婆を用いる寺はほとんどなかった。業者の方を私から励ました記憶がある。それから五年。杉材に切り替えたり、新規取引を下さる寺院が百ヶ寺になったと先日報告を受けた。ちょっぴり嬉しかった。(平成22年夏)





恩 師 追 想                         

 

 人はその誕生以来、たくさんの食べ物や栄養を摂取して成長するが、決して 栄養のみが人を大きくさせるのではない。人はまた多方面から教示、教育を受けて、その人本来の器を形成、築いていくのである。従って教育とは、私たちにはかけがえのない 滋養であり、その滋養の中身はさらに吟味しなければならない。滋養の中身については 洋の東西を問わず、昔も今も語り継がれ磨かれていよう。  

 

 私にとっての滋養は仏教であり、人生の指針は仏教の考えによる。

しかしながらこの 仏教による指針はそう簡単に私の中で形成されたわけではない。私自身が仏教の基礎や修行を徹底して学んだのは、十年間。この時に各専門機関(東京 ・京都・高野山の三ヶ所)で優れた先生方に出会うこととなった。どの先生にもよく かわいがっていただき、私一人のために授業をして下さった先生は二名もあり、大教室に 立ち見の出るほどの名物教授の授業では、先生の助手を兼ねながら受講したりした。多感な青年期にあって、こうした先生方から受ける影響はたいへんに大きかった。仏教という大きな蔵の扉を私の前でしっかりと開けてくださった恩師方である。  

 

 やがて半人前ながらも自立してあちこちで仏教の話をするようになるが、それでも時には 恩師を訪ねて意見を乞うこともできた。幾つになろうとも恩師は恩師、教え子は 教え子である。しかしながら歳を重ねるにつれその恩師も一人また一人と逝かれた。そして ついに今夏には私が十代の終わりに出会い、多大な影響を受け、出家への道を歩む善因を下さった恩師も逝ってしまわれた。かの十年間における私の恩師でご健在なのは、もうお一人のみである。  

 

 こうして恩師と離別することを経験し、私自身の器の未だ小さきことを恥じつつも、あらためて自身の指針を見つめるのである。するといつの間にか確かな仏教の指針が自身に あるように感じられる。若い頃はぼんやりとしていたものが、随分とはっきりと観ることが。これぞ恩師からの滋養が私の中でささやかに形成された恩徳と思う。

 私の恩師はどなたも優れていたが、またその恩師の恩師も実は賢者であり、大学匠であった。そうした恩師の系譜に連なることは難しいけれども、その恩師の学恩を受けた誇りは大切にしたい。私を培った仏教という滋養が、少しでも他のためにお役に立つならば、それが恩師へのご恩返しであり、供養に資するのであろう。
 

 檀信徒の皆様との出会いも、やがてお会いすることになろう多くの方々との邂逅もまたそうした仏教のおかげである。歳の瀬、新年を前にあらためて皆様とよきお付き合いを深めたいと念願するものである。

                       (平成21年師走 誌)



















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